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所長プロフィール


 
 広島市南区宇品の生まれ

 出生地は現在コジマ電気の宇品店が出店しているその場所である。
 そこはキンカエンと呼ばれていた。漢字はよくわからない。
 その場所には今から数十年前、大和人絹という会社の平屋長屋の社宅が十数棟並んで建っていた。
 八っつぁん、熊さんが出てきそうな懐かしい長屋風景であった。
 ぼくが物心付いたときには既に大和人絹は工場を閉鎖しており、従業員の社宅だけが残った。
 長屋の空き地では毎日遅くまで子供たちが大勢群れて遊んでいた。
 中学生から下は就学前の子供までが群れていた。僕より少し上の子供たちが今、団塊世代と呼ばれる。
 子供たちの姿は消えたが、懐かしの長屋風景を50年近くたった今でもそこから、数百メートル離れた
 場所で見ることができる。
 広島市立宇品中学のグラウンドの南、旧国鉄宇品線沿線に存在する平屋の長屋群がそれである。
 そこも多分、大和人絹の社宅だったと思う。
 そこに今も存在する長屋と殆ど同じものがコジマ電気の宇品店の場所にも、かつては存在していた。
 
 今も残る長屋群の周辺は毎年、初夏になると、ピンクや白、赤の花をつけたタチアオイが群生する。
 地域の人々は毎年タチアオイ祭りを催している。
 キンカエンは今から何十年か前取り壊され、マツダの社員寮が建てられたが、それも取り壊され
 最近コジマ電気の宇品店ができたのである。
 キンカエンの跡地にできた店だからできれば末永く繁盛してもらいたいと思いつつも殆ど利用しない。
 小学校の3年の初めまでそこで暮らした。ぼくの第一の故郷である。
 キンカエンに暮らしていた人々は今どこでどうしているのだろうと、時々思いを馳せる。

 
 小学校入学前、翠町のサイセイ幼稚園というところに年長から半年間通園して、泣く泣く中退したのを覚え
ている。登園拒否ではない。行きたかったのに家の都合でいけなくなった。
 その後、できたばかりの宇品東小学校に入学、大州小、宇品小と転校して最後の宇品小を卒業した。
 宇品小の横には当時豚小屋があった。
 その後、上に書いている宇品中に入学した。荒れにあれまくった学校であった。隣の教室と隔てる壁は生
徒の暴力により大きな穴が明けられ、授業中、後ろではトランプをしている連中がいて暴力事件は日常のでき
ごとだった。
宇品中の教室の窓から、巨大な工場跡地が見えていた。一面草むらであったが僕には壮大な風景画であった。
そこが今のマツダ宇品工場である。
 その後、国泰寺高校を卒業後、広島市役所管財課勤務の傍ら広島大学政経学部(現法学部)
 第2部法律政治学科に進んだが学園紛争の真っ只中、校門はバリケード封鎖され電流が流れ
 ているという怖い噂もあった。入学式もなく授業もなく授業料だけ請求が届いた。しばらくはとても
 勉学の雰囲気はなく、その後原因不明のまま体調を大きく崩した。そういう状況でもしばらくは大学
にも通ったが残念ながら道半ばで大学を中退、市役所も辞めることとなったのはほろ苦い思い出である。
 その後数年して健康診断で肋膜炎が治癒していると医師に告げられた。
 なぜもう少し早く病巣が確認できなかったかと少しだけ、悔やまれる。
 体調が普通に戻るまでには更に数年かかったように思う。

 後、民間中小企業勤務を経て昭和59年、社会保険労務士、後に行政書士事務所を開業、
 地元の中小企業を顧客として多くの方のお世話になりながら業務展開して現在に至っている。

 国民年金が実施される前年、高度成長期の只中、父が他界し、その後母親の手、
 一つで育てられたが、会社勤めをしていた父の加入していた厚生年金から遺族年金支給の通知が
2カ月に一度送られてきていた。
 一年に6通も届く年金のハガキを見ながら、苦しいながらも年金が我が家の家計の支えになっ
 ていることを子供心に感じていた。今は一年に一度の通知となっているが、当時の年に6通の年
 金通知を目にしていなかったら、ぼくはひょっとしたら社会保険労務士にはならなかったかもしれ
 ない。
   
 社会保険労務士が、中小企業の事業主を支え、それとともに労働者の福利に寄与する仕事
 であるということはもちろん社会保険労務士になった大きな動機ではあったが、年金を取り扱う
専門家であるということも、ぼくを惹きつけた一因であったことは否定できないように思う。

 今、社会保険労務士を取り巻く環境は激変しているが、常に社会保険労務士を目指したときの心
 がぼくを支えているように思う。